2021-05-18 明治9年金沢城写生図:rei001 今日の1冊 明治9年に、今の兼六園の高台から、金沢城を写生した絵図である。 金沢城は明治5年ごろ、陸軍名古屋鎮台の所管となり、 明治14年に石川門などを残し焼失した。 明治40年には、地震により、東丸石垣などが崩落して、 復旧は元通りとはならなかった。 この写生図には火災と地震前の、東丸の塀、付段の倉庫、二の丸御殿式台付近、橋爪門、五十間長屋、石川門、三の丸の塀などが描かれていて貴重である。 明治9年金沢城写生図